とりあえず、ごはん。

好きなものはカメラと旅行とほかほかごはん

これからを考えて

 

お久しぶりです。

更新を止めていた間に人生の岐路、というには大げさですが私の人生の中ではとてもおおきな物事がありました。

 

面白くもなんともないお話ですが、叩かれるでしょうが(そこまで多くの人が見ている訳では無い)今日はそのことについて書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

私は小さい頃からとても扱いやすい子どもであったと思います。

なんて自分のことを良く言い過ぎだよと言われてしまうだろうけれど(笑)

それでも私は「いい子」だった。

 

 

 

勉強だって人並み以上だった。(だって勉強できる方が良いと親がいうから)

有名なお嬢様校に小学校から入れられて、高校まで特に反抗せず生活した。(それが最善だと言われていたから)

いきなり「大学は国立大学に言って欲しいなぁ」と言われたので受験勉強をしたし、「理系は潰しが効くから理系にすすみなさい」と言われて女子高で理系クラスも無いような学校なのに理系である農学部を志した。

結果、親の望む国立大学の理系に合格した。

 

反抗期なんて、なかった。

 

これって正解?って昔から思っていたけれども自分の一番信頼する大人が正解だよというから疑いもしなかった。

 

短大なんて、専門学校なんて、っていう親の元育ったからもちろんそちらの進学は考えなかった。

 

 

そしたらこう、ぷつりと糸が切れたように今の人生をやり直したくなったりする。

 

 

昔から好きな写真を職業にしたいって言い出せなくて、専門学校行きたいって言い出せなくてここまで来た。

 

 

 

 

そこそこよく出来る娘を育て上げて、私のお母さんのプライドは守られたよね?

じゃあここから私の好きなこと、やっていいよね?

 

 

って初めて思った。

 

 

私、なんだか反抗期です。

22歳でとても遅い反抗期です。

 

 

伝えても伝えても「あなたのために言ってるの」って否定される。

「あなたのため」なんて言って「自分の親としての評価のため」じゃない?って考えをしてしまう。

 

 

 

でもここが限界で、私には写真という夢があって、伝えたら、

 

 

お母さんが泣き崩れました。

 

 

 

どこかの街でカフェを開いて自分の写真を飾って、週末にはその街をカメラを持って巡るワークショップをする。

 

 

そんなことがしたい。

 

ずっと今までもしたかったし

これからもずっとそれは夢。

 

 

 

 

泣き崩れるお母さんを見ても「あぁ自分の思い通りにならならいから泣崩れるのかなぁおかしいなぁ」としか思えないし

「いやだ、もう全部がいやだ」なんていうお母さんに「私は理系なんて行きたくなかったし国立大学に何も魅力を感じてない、極端に言ってしまえば20年間くらい嫌だと思い続けていたんだからもう我慢の限界だ」と伝えてしまいたい。

 

 

私の我慢の限界、これからを考えてどうすればいいか、

 

 

文章はまとまっていませんがこんな事がありました。